明智光秀
定紋は「桔梗」紋。明智光秀の出自は諸説あるが、美濃の守護土岐氏の流れを汲む一族とされており、土岐氏ゆかりの家紋「桔梗」を用いている。土岐氏といえば「土岐桔梗」と思われがちだが、江戸時代に桔梗紋から派生したもので、戦国時代にはなかった図案らしい。本能寺での謀反を演出した水色桔梗の旗は有名である。
浅井長政
浅井氏の家紋は、長政の肖像に描かれている「三つ盛り亀甲に花角」紋というのが定説である。しかし、長政の祖父亮政の木像には「井桁」の紋、父久政の肖像には「井桁」と「違い扇」の紋が描かれている。そのため、亮政・久政の時代では「井桁」が定紋であり、長政の時代になって「三つ盛り亀甲に花角」紋を追加したのではないかと推測されている。
朝倉義景
越前国守護の朝倉氏は、古族日下部氏の流れをくむ氏族のひとつで、政治や軍事よりも雅を好んだといわれる。家紋の「三つ盛り木瓜」は、先祖が白猪を退治した褒美として源頼朝から賜ったとされるが、それ以前もしくは併用して「木瓜」紋も使用していたようである。
浅野幸長
幸長は豊臣五奉行の一人浅野長政の子であり、関ケ原の戦いでは東軍として参戦。浅野氏の家紋は「丸に違い鷹の羽」紋だが、武家に大変人気があり大名・旗本で120家以上、また形のバリエーションは60種以上もあった。そのため他家との差別化を図り、最終的には「浅野違い鷹の羽」という渦巻き模様になった鷹の羽紋である。
足利義昭
足利氏の定紋は「足利二つ引き両(二つ引き両)」紋。
有馬晴信
「五瓜に唐花」紋。有馬瓜と称してはいるが特別な形状ではなく、基本的には「織田木瓜」と同じ紋。替え紋は「有馬唐花」紋。
安国寺恵瓊
「武田菱」紋。出自は安芸武田氏の一族。