久留子・来留子|くるす

久留子紋は別名十字架紋ともいい、ポルトガル語で十字架のことをクルスと呼んだからことから来ています。ご存じのように室町末期フランシスコ・ザビエルが布教のために来日、これを仏教僧侶の横暴を押さえたいと考えていた信長が利用する形で後援したため、たちまちキリスト教が西日本に広まりました。

その結果、武家の中にも改宗するものが現れ、そのシンボルとして久留子紋が作られました。その後厳しい弾圧で使われなくなりましたが、いわゆる隠れキリシタンが巧みに十字架をアレンジさせて後世に伝えました。戦国大名の小西行長や島原の乱の天草四郎一味が使ったことは有名です。


四つ子持ち花来留子

十字来留子

花久留子

角花久留子

切り竹来留子

三つ来留子

変わり久留子菱

来留子菱

中川久留子
家紋千社札の音海屋
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